Saturday, December 16, 2006
【連続学習会】第3回 民衆交易はグローバリゼーションを超えられるか 近藤康男
三回目となる脱W連続学習会が、12日18時半から総評会館で開かれました。今回は(株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ)の近藤康男さんを講師に招き、「民衆公益はグローバリゼーションを超えられるか?」というテーマでお話をしていただきました。以下報告します。(安藤丈将)
【近藤さんの報告要旨】
フェアトレード市場は、世界貿易全体の0.011%(農産物貿易では0.15%)のシェアしかありません。しかし公正で、透明性のある、第三世界の生産者の利益につながる貿易を実現しようというフェアトレードの理念は、1960年代の勃興期から現在に至るまで着実に浸透してきました。今ではIFATが統一基準(生産者の生活向上、取引の透明性、公正な価格、女性の地位向上、労働条件や環境への配慮など)を設定し、それをクリアした商品には、「フェアトレードマーク」という認証が与えられるまでになっています。
ATJは1989年、フィリピンネグロス島の飢餓難民支援活動を契機に生まれました。緊急支援から永続的な連帯への移行を保証すべく、産地との共同事業に乗り出しました。零細農民の無農薬バナナを買い支えることからスタートした事業は、不安定な経営の時期を乗り越え、食の安全を求める消費者のニーズと合致するようになってきています。
フェアトレードが市民社会で認知されるようになり、最近では大手企業(スターバックス、マクドナルド、ネスレ、イオン…)も商品戦略の一環としてラベルをつけるようになっています。こうした現状は一定の評価をできるものの、フェアかどうかは商品そのものではなく、企業活動総体として判断されるべきであり、商品だけ切り離して評価すると間違いを犯す。さらに大企業参入は、消費者中心の基準づくりに傾斜しがちで、零細生産者を疎外するかもしれません。認証機関による基準設定が進むにつれて、専門家の主張が幅を利かし、消費者や生産者はその過程に参画できなくなります。
そこでフェアトレードというより包括的な概念のサブカテゴリーとして生まれたのが、「民衆交易」です。民衆交易には、スーパーマーケットの棚では表現できない理念が込められています。それは消費者と生産者の連帯、環境にやさしく安全な食べ物を作る産地の取り組み、アグリビジネスからの「食と農」の奪還などを含みます。ATJでもさらなるステップとして、「命・環境・暮らし」にやさしい、オルタナティブで持続的な民衆経済をめざしたいと考えています。 なかでもキーワードは「いのち」である。
【フロアとのやりとり】
数多くの質問が出されたので、主なやり取りをまとめます。まずはFTAが事業に及ぼす影響についての質問が出されました。近藤さんは、今のところあまり影響を受けていない、それは産地と消費者の間に市場メカニズムに大きく依存しない関係であるからだと返答されました。
フェアトレードを通して「北=消費する/南=生産する」という関係をどう変えるのかという質問が出されました。近藤さんは、この問いへの明確な答えは今のところない、と話されました。第三世界の生産者を支援する最初のステップが民衆交易で、それは最低限の生活を営むうえでも、教育や医療費を支払ううえでも役に立つと考えているが、将来は南北の従属・支配関係がなくなって、ATJの事業もなくなるのが理想であろうと続けました。
この問いに対して、別なフロアからの参加者は、南北関係は500年以上かけてつくられたので、すぐになくなるものではないため、零細生産者の作物を買い支える仕事には意義があると述べました。しかし生産者と消費者の関係は、後者が強くなってしまう傾向があるので、これをどう変えるかが重要である、とつけ加えました。
次にATJで民衆交易を実践するうえでの困難について質問が出ました。近藤さんは、ATJの仕事には事業/運動の二つの側面があることを指摘し、前者を優先させると資本の論理が前面に出て、後者と矛盾すると述べました。しかし事業としての日常の業務を深めていくと、必ずこの二側面の矛盾にぶつかり、「不断の民衆交易化」という運動としての課題を考えざるをえなくなると話されました。
ここで二人のATJ社員の方もコメントされました。販売側には、事業であるからにはそれを継続しなくては産地もない、という点が強調される傾向があるのに対して、産地側は零細生産者との連帯が強調される傾向がある、と話されました。どちらも同じように大切であり、いつも二つの論理のせめぎ合いのなかで仕事をしている、と続けました。最後に、こうしたせめぎ合いの議論の成果を、会社のなかで共有していく必要性も指摘されました。
さらに近藤さんは、次のことをつけ加えました。食の安全に対する関心が高まり、官庁などから安全基準の事務的な要求が増えているが、これを産地にストレートに求めることは、かれらにかかるコストの面を考えても難しいそうです。消費は短期間でできるが、生産は長期間を要することからわかるように、生産と消費では時間の軸が違う、という点を踏まえないといけない、と指摘されました。
最後に司会の大野さんは、500年以上かけて形成された南北の関係が、北=消費者、南=生産者という関係を固定化し、しかも北の消費者が南の生産者の土地資源を利用して、コーヒーやエビなどを作らせてきた歴史的経緯を把握することにもう一度注意を喚起されました。そのうえで事業の論理と運動の論理の間でせめぎ合っているATJの挑戦は、「脱WTO」の経済社会のあり方を模索する私たちにとって、大いに学ぶところがあると、暫定的なまとめを述べて、会を終えました。
次回は、1月16日(火)18時半から総評会館で、オックスファムジャパンの山田太雲さんとアタックジャパンの秋本陽子さんをお招きして、「どうするWTO―世界のNGO(オックスファムとフォーカス)からの提案」というテーマで学習会をします。
【近藤さんの報告要旨】
フェアトレード市場は、世界貿易全体の0.011%(農産物貿易では0.15%)のシェアしかありません。しかし公正で、透明性のある、第三世界の生産者の利益につながる貿易を実現しようというフェアトレードの理念は、1960年代の勃興期から現在に至るまで着実に浸透してきました。今ではIFATが統一基準(生産者の生活向上、取引の透明性、公正な価格、女性の地位向上、労働条件や環境への配慮など)を設定し、それをクリアした商品には、「フェアトレードマーク」という認証が与えられるまでになっています。
ATJは1989年、フィリピンネグロス島の飢餓難民支援活動を契機に生まれました。緊急支援から永続的な連帯への移行を保証すべく、産地との共同事業に乗り出しました。零細農民の無農薬バナナを買い支えることからスタートした事業は、不安定な経営の時期を乗り越え、食の安全を求める消費者のニーズと合致するようになってきています。
フェアトレードが市民社会で認知されるようになり、最近では大手企業(スターバックス、マクドナルド、ネスレ、イオン…)も商品戦略の一環としてラベルをつけるようになっています。こうした現状は一定の評価をできるものの、フェアかどうかは商品そのものではなく、企業活動総体として判断されるべきであり、商品だけ切り離して評価すると間違いを犯す。さらに大企業参入は、消費者中心の基準づくりに傾斜しがちで、零細生産者を疎外するかもしれません。認証機関による基準設定が進むにつれて、専門家の主張が幅を利かし、消費者や生産者はその過程に参画できなくなります。
そこでフェアトレードというより包括的な概念のサブカテゴリーとして生まれたのが、「民衆交易」です。民衆交易には、スーパーマーケットの棚では表現できない理念が込められています。それは消費者と生産者の連帯、環境にやさしく安全な食べ物を作る産地の取り組み、アグリビジネスからの「食と農」の奪還などを含みます。ATJでもさらなるステップとして、「命・環境・暮らし」にやさしい、オルタナティブで持続的な民衆経済をめざしたいと考えています。 なかでもキーワードは「いのち」である。
【フロアとのやりとり】
数多くの質問が出されたので、主なやり取りをまとめます。まずはFTAが事業に及ぼす影響についての質問が出されました。近藤さんは、今のところあまり影響を受けていない、それは産地と消費者の間に市場メカニズムに大きく依存しない関係であるからだと返答されました。
フェアトレードを通して「北=消費する/南=生産する」という関係をどう変えるのかという質問が出されました。近藤さんは、この問いへの明確な答えは今のところない、と話されました。第三世界の生産者を支援する最初のステップが民衆交易で、それは最低限の生活を営むうえでも、教育や医療費を支払ううえでも役に立つと考えているが、将来は南北の従属・支配関係がなくなって、ATJの事業もなくなるのが理想であろうと続けました。
この問いに対して、別なフロアからの参加者は、南北関係は500年以上かけてつくられたので、すぐになくなるものではないため、零細生産者の作物を買い支える仕事には意義があると述べました。しかし生産者と消費者の関係は、後者が強くなってしまう傾向があるので、これをどう変えるかが重要である、とつけ加えました。
次にATJで民衆交易を実践するうえでの困難について質問が出ました。近藤さんは、ATJの仕事には事業/運動の二つの側面があることを指摘し、前者を優先させると資本の論理が前面に出て、後者と矛盾すると述べました。しかし事業としての日常の業務を深めていくと、必ずこの二側面の矛盾にぶつかり、「不断の民衆交易化」という運動としての課題を考えざるをえなくなると話されました。
ここで二人のATJ社員の方もコメントされました。販売側には、事業であるからにはそれを継続しなくては産地もない、という点が強調される傾向があるのに対して、産地側は零細生産者との連帯が強調される傾向がある、と話されました。どちらも同じように大切であり、いつも二つの論理のせめぎ合いのなかで仕事をしている、と続けました。最後に、こうしたせめぎ合いの議論の成果を、会社のなかで共有していく必要性も指摘されました。
さらに近藤さんは、次のことをつけ加えました。食の安全に対する関心が高まり、官庁などから安全基準の事務的な要求が増えているが、これを産地にストレートに求めることは、かれらにかかるコストの面を考えても難しいそうです。消費は短期間でできるが、生産は長期間を要することからわかるように、生産と消費では時間の軸が違う、という点を踏まえないといけない、と指摘されました。
最後に司会の大野さんは、500年以上かけて形成された南北の関係が、北=消費者、南=生産者という関係を固定化し、しかも北の消費者が南の生産者の土地資源を利用して、コーヒーやエビなどを作らせてきた歴史的経緯を把握することにもう一度注意を喚起されました。そのうえで事業の論理と運動の論理の間でせめぎ合っているATJの挑戦は、「脱WTO」の経済社会のあり方を模索する私たちにとって、大いに学ぶところがあると、暫定的なまとめを述べて、会を終えました。
次回は、1月16日(火)18時半から総評会館で、オックスファムジャパンの山田太雲さんとアタックジャパンの秋本陽子さんをお招きして、「どうするWTO―世界のNGO(オックスファムとフォーカス)からの提案」というテーマで学習会をします。